森を抜けて駆けていく

クラシックの話、時々アウトドアの話。

SPI対策 この本難しい!

こつこつとそろそろSPIの対策をしようと昨日対策本を購入。

買った本はこれ。『史上最強 SPI&テストセンター超実戦問題集』

 

 

最初の二項目はわりとさらさら解けたんだけど、3項目目の『推論(順序)』でつまずいてしまった。

この本に関しては、「上級者向け」とかの書評を見たけれど、確かに難しいと思う。

筆者が本冒頭の本紹介で、本書に関して私立文系でもわかる丁寧な解説、と言っているけれど、こればかな文系だとわからないよ。解説が飛躍してるところもあるし、一応理系をしている自分でも、時折「は?」となる時がある。

という訳で、今日は『推論(順序)』まで。

やばいな、速いとこ一周回さないと。3月になるまでに5周くらいまわせるだろとか思ってたけど、結構やばいかな。

 

うん、やっぱりこの本、解説が不親切。基礎体力がないと言われたらそれまでなんだけど。なんでそんな式でやっていいのかが、すぐにわからない。めんどくさがったのかな、解説書くの。

あとちょいちょい解説文が鼻につく。頭のいい人が、わざとわかりにくく説明するみたいな節回しがある。普段からそんな感じで話してるんだろうな、著者は。

気になったニュース「虫塚 人と虫に歴史あり 昆虫まつる供養塔など、全国訪ねガイドブックに 柏田雄三」

日経電子版より

昆虫を供養する虫塚巡りをしている方のインタビュー記事

 

 

虫は耳元に近づいてこない限り、あんまり日常的に気にすることが無い。現代は排水等が整備され尽くされていて、虫自体が一昔前と比べて町にはとても少ないというのを聞いたことがある。

 でも、鳥や動物と同じように、生態系の中では重要な役割を果たしているし、人間にとって害にも安らぎにもなる存在である。虫という存在に目を向けてみようと思った。

 


 「農村部の寺社や道沿い」に虫塚は多いらしいが、それを建てた人の慈しみの心には感嘆させられる。お地蔵さんレベルの大きさならまだわかるが、鎮魂碑のように大きいものを建てるというのは、その行動をかけたてる熱量は理解できない。もちろんいい意味でである。害虫を鎮めるために碑文を建てるというのは、まさしく神道的な考えである。


 古い町の片隅の風化しかかっているお地蔵さんのような「人工的な石」も素通りせずに、ひとつひとつ興味を持って、地元の人に話を聴いてみて、自分でその土地の歴史に思いを馳せてみる。


 昨日偶然に「キンシオ」を観たが、まさしくキンシオタニさんのようにモノと接してみたい。ブラタモリのような広い視野と科学的な検証と、キンシオのようなあふれる好奇心。身につけたい。
 現場に出向き、現物を見て、現実を知るーー三現主義よろしく、自分の目で観て、じっくり考えてみる。景色や風景を奥深く感じることができる人生にしたい。

日本フィルのブルックナーの8番を聴きに

1/21の日フィルのブルックナーの8番を聴きに、サントリーホールへ。
 前日に電話でチケットを購入。その時にオペレーターに紹介された席で了解したら、そこがいわゆる「雨宿り席」(二階席の真下の一階席で、天井が低くなっているところ)であることが判明し、少し気落ち。
 
 13時から曲目紹介のプレトークがホールであるというので、その時間にあわせて赤坂へ。サントリーホールに行く時はいつも溜池山王駅を使うけれど、いつも出口がどれだかよくわからなくなってしまう。
 プレトークは自分の席で聴いた。ベートーヴェンワーグナーの影響を丁寧に説明してくれていた。
 ブルックナーを生で聴くのは、昨年のN響の2番(パーヴォ指揮)以来二回目。
 席は心配していた程雨宿りでは無かったので、とりあえず一安心。まぁユースチケット使って1500円で聴けるんだから、ぐうたら言うこともない。
 
 演奏は、、、疲れた。
 大好きな曲だからかな。集中して聴き続けたいけど、やはり途中で気持ちが切れる瞬間があった。
 根本的なことだけど、他の人たちが演奏中どんなことを考えているのかってあまり聞いたことがない。もちろん音楽世界に没頭できる人もいるかもしれないけど、僕は結構、いろいろと考え事をしてしまって、「あれ、いつのまにこんな場所まできていたのか」と後悔することがある。
 
 特に、ブルックナーに関して言える事かもしれないけど、音楽を聴く時には、「狭い視野」か「広い視野」かどういうスケールで聴くかを迷ってしまう時がある。狭い視野というのは、ここのティンパニーのクレッシェンドはどうかとか、木管の歌い方がどうかというのをその時その時感じ続けることで、「広い視野」はシンフォニー全体から俯瞰するように聴くイメージである。
 
 指揮者はもちろん後者を重視していると思うけど、聴く方はなかなかそれは難しい。どういう音楽世界なのかは聴き終わらないと全体は知り得ないからである。かといって、クライマックスが終わって拍手している間、全体を具体的に俯瞰しながら振り返ることができるかというとそれはとても難しい。
 
 85分余りの世界をぎゅっと自分の中で凝縮して理解する。どこどこがどうだった、こうだったではなく、全体としてどうなのか。でもそれもおいそれと形容詞で説明できない複雑なものである。音楽同様、時間とともに風化とも発酵とも言えぬ何か熟成が自分の心の中で起こるのである。
 こういう風に哲学風なことを帰りの地下鉄の中で考えさせること自体が、音楽の偉大なところでもある。
 
 演奏はいつも聴いているブーレーズの8番と比べてテンポが遅く、でも本格的ドイツサウンドなので、聴き応えがある。でも集中力が途切れてしまう…
日フィルは何回目かな、、今までは思わなかったことだけど、管楽器の技量に少し難点をおぼえた。音程や音色が流れの中にない、空気を読んでいない演奏者がいたように感じた。具体的に例をあげてしまっては申し訳ないが、冒頭のホルンにはがっくしきた。あとセカンドとサードトランペットも。。
 
 帰りがけに神保町によった。古本を4冊ほど。
 サントリーホールは改修に入ってしまうから、しばらくは来ないだろう。冬の木枯らしを肌に感じながら、頭には暖かみのあるサントリーホールの照明が浮かんでいた。